
「出雲」は、1951年に東京駅と、島根県にあった大社駅を結んで運行が開始された急行列車「いずも」を創始とし、1972年には特急に格上げされた。1978年には東京と山陰を結んでいた別の列車を列車愛称整理のため「出雲」に統合したため、特急「出雲」は2往復体制となった。当時は東京と山陰の間には航空路がさほど発達していなかったこともあり、利用客が多い有数の列車として親しまれていた。1998年には、1往復が京都駅〜米子駅間において山陰本線経由から伯備線経由に経路が改められた上で電車化され「サンライズ出雲」となるなど、利用者獲得のための積極的な姿勢も見られた。
しかし電車化されずに存続した山陰本線経由の客車「出雲」は、車両が老朽化していることや、東京〜米子間においては「サンライズ出雲」より所要時間がかかること、ライフスタイルがレジャー中心のものへ変化したことなどから、時代のニーズに対応できず利用客が減少し、ピーク時の3分の1にまで低下しているという。
…さて、「あさかぜ」フィーバーも過ぎて落ち着いた事だし、次の列車にいってみようかのう(爺)
まだ関東発西日本方面ブルトレで乗車してないのは…と…。「出雲」があるでにゃーか!(←ニセ尾張弁)
さて、いつ乗るかなのだが…やはり閑散期の6月しかないでしょう。その前に出雲市駅到着・回送風景ロケハンを3月にする事にした。春休み時期で、ちょっと人出が気になるが、諸般の事情で致し方ない。
3月27日(日)
この日は泊まるのみ。朝イチで行っても間に合わない為である。
宿は松江東急イン。安いパッケージプランだと、宿はココになってしまうのであった。
3月28日(月)
9:19、3453D快速アクアライナーに乗車、出雲市へ。立ちを覚悟していたのだが、予想外にも空いていて座れました。
9:53、出雲市着。「サンライズ出雲」を後々の為に録音。
この列車は、音鉄復活のキッカケになった列車なのですが、その当時の録音機材がカセットテープという罠。現在使用しているHi-MD・PCMと比べると、例えば「オリエント急行」と「東武8000系」ほどの差がある(←なんつー例えだ…)録り直しする予定ではあるが、まだ先の話になりそうだ。
…さて「出雲」を待つ事にしよう。
ホームには、鉄が2〜3人位しかいない。春休みだからけっこうウザイかと思っていたのだが…。「廃止」の情報が流れないとダメなんスかねぇ、今時のテツは!…ま、いなきゃいないでいいんスけどね。
そして10:54客レ出雲が…
来ない…
…あれ?
職員に尋ねてみると、松江駅手前の踏切で、乗用車の落車があり、その処置をしていて、列車には支障が無いとの事。
マジっすか!?(PART-12)
もう、何でもいいや(投)
結局到着したのは11:50。56分遅であった。降客も10人いるかいないか…。
10分後に西出雲方へ回送。春休みでコレなんだから、私が乗車する6月なんかもっと乗車率低そうだ。
いや、音鉄するのには良いんスけどね…。